《SeeD 一粒の種》この活動は私にとっての晩年のライフワークと考えている 何故?? いつの頃からか漠然的に思っていた 「自然食」「おばあちゃんの知恵」「食で治療する」「民間療法」「自給自足」「恒常性」「発酵食」「環境問題」「種」などなど、、、そして私が長年行ってきたライフスタイルだ 自然色で育ち、こんにゃく湿布、里芋パスタなど民間療法を用いて生活し、28歳の時に薬、化粧品を一切辞めた、それを用い子供も育てた アレルギーが酷く、病弱だった私が今が人生において一番元気である 「真の健康とは」「からだと向き合う」「エクササイズ」が仕事になった そして祖母、母から教わった先人の知恵の結集 この伝統を引き継いでいく事のを重要性を身に染みて感じてライフワークにすると決めた また海外にいるから尚日本の歴史、伝統の素晴らしさを誇りに思い、体感しているのかもしれない
Masayo Udagawa Takahashi
数年前から漠然と考えていた ところがこのコロナ騒動での世界閉鎖、今直ぐ始めないと間に合わない!って思い始動した 桜が咲き始めた今から準備を始めて夏の収穫を!! 何年か前から「自給自足」「物々交換」そんな日が来るように感じていた その答えがここで受け取るとは思わなかった 急に食べる物がなくなることはないかもしれない でも十分でなかったり、高騰するとは思わないかの いろいろな人が「元の生活に戻ることを願って」というが なぜ元に戻る、戻れると思うのか 世界中が混乱の中 今までと同じであるはずがない アメリカや日本の農業は農家自身が作業していない事が多い、他の国の人間に頼っている農業 同じだけの収穫が望めるのだろうか 自粛はいつまで続くのか、 人とは働けない今、規模は縮小せざるを得ないのではないだろうか 心穏やかに まだまだ続く自粛生活を楽しむのも良いのではないだろうか 野菜を育てる,植物の成長を経験することは、私たちの心も豊かにしてくれる 生きているものと接することは、自分のケアをすることって思う
Masayo Udagawa Takahashi
《SeeD 一粒の種》のやろうとしている事はとっても短な事だと思う 日常の中の一コマであり、ふと周りを見渡せば答えはそこにある 人が生きるということは、作られたものの中ではなく 自然の中にあると思う この変わっていく世の中で何が必要か、何が大事か 今、私たちは考える時間をもらった 生きることが分からなくなった私たちが 自分たちが選んで創り出した時間ともいえる 自分に還る 原点に還る だけど現代生活に浸かってしまっていると忘れてしまっているのかな、原点を だから発信をしたいとも思っています
Masayo Udagawa Takahashi
あなたは自然が好きですか 私は大好き、愛してやまない というより自然がなければ人は生きてはいけない 自然があるということは、水があり、空気があり、微生物がいて、分子がいて、粒子であって、量子波で、宇宙波動で、、、だから人間、私たちがいる、私たちが存在する 全てが私たちである 5年くらい前に夢を見た 実にリアルな夢で、 苗木を持って「木を植えてください。木がないと私たちは死んでしまいます」と言って世界中を回っているのです 山越え、谷を越え、苗木を持って歩き回っています 目が覚めた時、夢でないような気がした 別の時間で歩き回っていたと感じるほどリアルだった これも漠然と将来やっていくことだなと感じた 今回のコミニティーを創るキッカケのひとつだ
Masayo Udagawa Takahashi